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- 2016/11/09
- 20:57
仮に人生のハイライトというものを定義するというのなら、
僕は独り暮らしの部屋で、
いまの奥さんに結婚でもしませんかとメールで送った時じゃないかな、と思う。
実際ああいうのって不思議なタイミングがある。
僕等は瞳の中にみづうみなどというものを持っているし、
胸の中に底知れない谷などというものを持っているのだが、
人生やっぱり今日より明日である。
単純なただ一つの幸福という音を聞くということは、
人間として生まれたからには一度ぐらいはやっておきたいことである。
もちろん、生まれてはじめて小説を書き終わった時のあの感動とか、
これが名作になるとわかっている詩を何百時間もかけて作った感動とか、
それはもう、言葉にできないほどのものだけど、
でも、それだって、今日より明日、明日より明後日を、絶望より希望を、
生きる上での純粋な意欲を見出すこと、導き出すことじゃないかなと思う。
風景はモノクロームであるよりカラフルである方がいい。
自分一人では食べもしない果物や、
自分一人では絶対に入りもしない店がある方が絶対にいい。
絶対ラグビーを見に行ってやる。
最低でも、ラグビーをこの眼でしっかりと見てやる。
別に大したことじゃない。
でもその方が絶対にいいに決まっている。
これまで聞かなかった歌に眼をつむってああと唸れるような時間があって、
世の中の何かがもうありえないぐらいすごいと思えた一瞬が続いてゆく、
そんなのは絶対に無理だけど、ああそんなの絶対に最初だけだよ、
わかってるよ、でも、そうやって、胸を熱くしたことが、
僕の人生には何回も、何十回もあったという方が有意義に決まっている。
人生が不幸だって言う人の大半が前世で自殺をした人だったら嫌だね、
そうだよ、だから前世なんていうものを、僕も信じたくないんだよ、
血液型とか、顔とか、才能とか、そんなの一切関係ないよ、
僕は毎日、自分のプライドを守るために生きているわけじゃない。
どこかで大きな顔をしたりするための、そんな僕の、弱さであってほしくない。
恥をかいたらいい、またやり直せばいいさ、僕も戦う、
嫌なこともあるさ、苦しいこともある、実際人にわかってもらえないことなんて、
本当にたくさんある。しかもそれが、どんなに正しいことでも、
歴史の中では何百回も、何千回も、何万回も繰り広げられたはずなんだ。
同じことをどうせ繰り返すのなら、勇気のある決断をしよう。
人生のハイライトというものが、もし僕のように思い浮かぶのなら、
いや、この残りの人生のうちに、もっと得難いものが見つかるように胸に誓おう。
長い夜は、本当にいつか明ける。
長い夜というのは、考えすぎて、うまく眠れない、夜のことだ。
あるいは、誰かのことで、何かのことで、しかも死ぬほどつまらないことで悩んでいる、
そんな夜のことだ。
そんな夜を何百日も、何千日も繰り返すぐらいなら、
違う道をきっと選びたくなる。
信用のできない人と、話すのは絶対に止めよう。
嘘をついて、何かを長続きさせるのは絶対に止めよう。
朝が来たら、昨日の僕がそのままいるような人生を、
一体誰が好きになるだろう、その惰性を、その意気地のなさを、
その心の弱さを、何故、きちんと見つめることができないだろう。
人生は勲章の数じゃない、正直に生きることだ。
子供の頃の僕等がそうであったように、いつも一番正しい答えを探す。
教えてもらったり、学んだりしながら、その一番正しい答えを探す。
そしてできるならそれが、何百年も、何千年も正しいものであったらいい。
長い夜は、いつだって、新しい朝のために捧げられているものだから。
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